市川海老蔵さん 会見全文と一問一答

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歌舞伎俳優・市川海老蔵さんが2017年6月23日、都内で緊急会見を行い、乳がん闘病中だった妻でフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)が死去したことを報道陣の前で報告しました。

テレビの前で多くの方が涙したと思います。

小さな子供を残して旅立つのはさぞ無念だろうと察しますが、この奇跡にも見える強くて美してまっすぐな麻央さんを悼む意味でも、海老蔵さんの会見を全文残しておこうと思いました。

この度はわざわざご報告するようなことではないのですが、家の前にも多くのマスコミの方がいらしたので、ご報告することもひとつの義務なのかなと思います。

昨日夜に、妻、麻央が旅立ちました。

そのなかで家族の時間や家族で話すべきことがあったのですが、思った以上に皆様につたわるのが早かった。アナウンサー時代から妻を応援してくださった方のために、このような時間をもうけさせていただきました。

市川海老蔵 会見一問一答

― 麻央さんの最後の時はどなたがいて、どんな言葉を交わされたのでしょうか?

市川:私は昨日も舞台でございまして、それまで麻耶さんと麻央のお母さんとでずっと看病していました。私は舞台が終わった後に別の撮影がありまして、そのあとにロビーでまた別の稽古もありました。そのときにお母さんからLINEが来ていたのですが、僕は見ることが出来ませんでした。1時間半程遅れて見た内容が、具合が悪いから、お医者さんも来ていて家族を呼んだほうが良いと。私も慌てて家に帰ったところです。

そうして帰ったときにはまだ麻央は、このように居てくれて。たまたま、本当にたまたまなんですけど、私が妻の前に座って、呼吸が苦しそうだったので「大丈夫かな」って。

一昨日までは喋れたのですが、昨日はずっと喋れずに…。これは本当に不思議な話ですけど、息を引き取る瞬間、私は見ていました。そのときに、これは本当に不思議なんですけど、「愛してる」と言って…

(顔を手で覆い、涙を流す海老蔵)

彼女がその一言を言って「愛してる」と言って、本当にそのまま旅立ちました。
僕が言ったわけではなくて、彼女が旅立つ間際に「愛してる」って。「る」は聞こえなかったかもしれないのですが、「愛してる」と言って旅立ったのが…なんと言いますか、愛されていたのはわかっていたんですけども、最後の最後まで愛していてくれたことに…なんとも言えませんね。すみません、なんか。昨日の昨日で何も準備が出来ていなくて、このようなところでお見苦しいところを見せてしまって。

― 最後、ご自宅で見送ってあげられたのは良かったなと思うのですが。

それはとても良かったと思います。お母さんもお父様も、私も、お姉さんの麻耶さんも子どもたちもずっと一緒にいたのでそれはすごくよかったなと思います。私の父は病院で亡くしているので、病院のときとは違う、家族の中で家族とともに一緒にいられた時間っていうのは、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います。

― お子様も含めてご家族皆さんで送ることが出来たということですか?

そうですね、子どもたちも見ていました。

― 麻央さんは、辛い中でも笑顔を忘れずにいたと思うのですが、そんな麻央さんの生き方を海老蔵さんはどう思いますか?

おっしゃる通り、笑顔と勇気と愛情、そして決してブレない自分、どんな状況でも相手のことを思いやる気持ち、まあ愛ですよね。

そういった力が最後までブレず、本当についまで笑顔で話していて、昨日はちょっと調子悪かったんですけど、ちょっと我々家族も急だったのでとまどった部分はすごく大きかったです。

― 海老蔵さんはなんて声をかけましたか?

このようにありとあらゆる言葉を耳元で話していました。

― 海老蔵さんにとって、麻央さんの存在はどんな存在でしたか?

市川:うーん…私のどんな部分も、どこまでも愛していてくれたんだなって。存在っていうのは…まあね、存在ね…出来ればずっと一緒にいて私の方が先に逝って、家内にはもっと幸せに、もっと楽しくご家族やお友達、お母さんお父様、そして私が役者として成長していく過程をずっと見守っていってもらいたかった存在です。

― 麗禾ちゃんと勸玄くんのご様子は?

麗禾は、昨日はずっと麻央の側を離れませんでした。そして彼女の横でずっと寝ると言って寝ていました。認識はしていると思いますね。

勸玄はまだ…わかっているんですけど、わかっていないところもあって、きょうの朝も麻央が横になっているところに2人が麻央の顔を触ったり、足をさすったり、手を握ったり。そういうところを見ると私が今後背負っていくもの、やらなくてはならないこと、子どもたちに対してとても大きなものがあるなと痛感しました。勸玄はまだわかってますけど、わかっていないと思います。

― 麻央さんから学んだこと大切なことを、これからどうやって伝えていきたいですか?

元気になったら彼女は、自分が歩んできた病、乳がんやそれに伴う病に対して、自分が治ったらばこうしたい、ああしたい、多くの人を救えるような存在になりたいと一生懸命闘病していました。それでブログというものも始めたんですよ。だから本当にマスコミさんのおかげで、ある意味公になって本当にありがたかったと思います。

それでブログというものを始めて、同じ病の人や苦しんでいる人たちと喜びや悲しみを分かち合っている妻の姿は、私からすると人ではないというか、なんていうんですかね…すごい人だなって。言い方はおかしいですけど、総合的に教わったこと、そして今後も教わり続けることは愛なんだと思いますね。

― 今浮かんでくる麻央さんの姿というのはどういう表情が1番思い浮かびますか?

どういう表情?全部ですね。初めて会ったときの彼女からのきょうの朝まで、全部。全部です。

― 笑顔が多い?

そうですね、多かったです。

― これまで話してきた言葉の中で、海老蔵さんに対してや、子どもに対しての言葉で残っているものは?

心残りだと思います、2人のことについて。どうすればいいんだろうって考えても答えが出なかったことだと思います。ですから、いろんなこともあり、今回も子どもたちが出演したり、7月も舞台に出るのですが、そういうものを観に来ることも1つの目標としていろいろなものを作ったんですけど…でもきっと見ていると思うので、まだまだ心配で心配でしょうがないんじゃないでしょうか。

― 海老蔵さんに託されたことはありますか?

多すぎて言葉に出せないですね。これからも舞台やって、このあともやって、子どもの稽古もやって、麗禾の成長のことも考えますし。やっぱりこれから、4歳と5歳ですから、これからお母さんっていう存在が彼らにとって非常に重要な存在じゃないですか。それを失った…僕は代わりにはなれないですけど、出来る限りのことをやっていくように思っていますね。

― 麻央さんがよく言っていた言葉で今思い出される言葉はありますか?

やはり言葉というか、麻耶さんが調子悪くなったり、例えば私が舞台で疲れている時も、彼女自身がもっと重い病にかかっている、そしてお母さんが看病で疲れている時も、麻央の方が大変なのに、やはり自分よりも相手のことを心配する優しさ。言葉とかではなくて、どこまでも自分よりも相手のことを思う気持ち、これはね、1番多かったですね。

― 麻央さんはどんな奥さんでしたか?

えー、そうですね、わかりませんね。どんな奥さん?僕を変えた奥さんじゃないですか?

― どんなところ?

わかりませんね。

― 麻央さんがプロポーズの時に来世も一緒にと。

そのつもりです。その話もしました。でも僕が愛想つかされないように頑張らないと。

― そのお話しをされたとき、なんておっしゃっていましたか?

喜んでいましたよ。

― 改めていま麻央さんに言いたいことは?

まだ昨日のきょうなので、こういうところも全部聞いていると思うので、言わなくても伝わっていると思います。いつも言っていることですね。

― 最後に麻央さんのブログに支えられた方に一言。

麻央のブログや、麻央の存在で励まされた方がいるということで、今回のこのような形をある意味とらせていただいたと思うんです。実際、そういうことがなければこのようなことをご報告することも形としてないと思います。しかし、そういう多くの麻央のことを応援してくれた方、麻央とともに戦っている方、本当にきのう先に旅立ちましたけど、麻央はずっと皆さんの側にいると思うので…本当にいろいろありがとうございました。

麻央さんのご冥福を心からお祈りいたします。

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