掛布雅之の引退 デッドボールのこと

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平成29年2月24日 人生が二度あれば、というテレビ番組で掛布雅之は、33歳で引退した理由を、手首にデッドボールを受けて骨折し、連続出場記録が途切れたことが最も大きな理由だと語っていました。

 

その掛布雅之のデッドボールとは・・・
昭和61年(1986年)4月20日対中日戦(ナゴヤ球場)六回表、
掛布雅之は斉藤学投手から左手首に死球を受けて転倒、そのまま退場した。
病院に直行しその診断の結果は左大菱形骨骨折で、翌日から連続試合出場記録は663でストップ。
掛布は約1ヶ月間戦線を離脱することになった。
後日、責任を感じた斉藤は、花束を持って掛布を見舞っているらしい。
その後、掛布は5月16日対中日戦で復帰するが、5月27日対巨人戦(甲子園)九回表、イレギュラーした強い打球を右肩に受けてしまう。
その後、精密検査を受けた結果、右肩関節挫傷と診断され、またしても約1ヶ月間戦線を離脱することになる。
2度の大きなリタイヤもあり、掛布はこのシーズン67試合しか出場できず、打率.252、本塁打9、打点34という寂しい成績に終わった。

翌年1987年も腰痛のため6月2日に登録抹消されて約1ヶ月間離脱。
1988年にも7月中旬に腰痛が悪化して戦線を離脱。治療を続けながら二軍で体調の回復に専念したが、状態は芳しくなかった。
そして、掛布は「これ以上チームに迷惑はかけられない」と退団を決意。
9月14日、大阪・梅田のホテル阪神で現役引退を正式発表した。この時、掛布はまだ33歳であった。

掛布は持病の腰痛を抱えていたが、1985年の大阪中が沸いた歓喜の優勝の翌年に起こった中日・斉藤から受けた死球以降、急激に打力が低下することになった。
その時は多分、腰痛もひどかったようだけど、あの死球が野球人生を短命に終わらせる原因のひとつになったのは間違いは無いと確信しています。

なお、掛布は自身の公式サイトで、死球の件について尋ねられて、こう答えている。

あれは忘れられないデッドボールでしたね。しかしよけられなかった僕が悪いので、斉藤投手のことは何とも思っていませんよ。僕の心に隙があったんでしょうね。

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